目が覚めるとそこはバスの中だった。夕べは朝方になってようやく少し寝られたようだ。窓の外を見ると明るく、比較的整備された道路を走っている。ボンベイの郊外らしい。次第に、交通量が多くなってきて、住宅地らしき様子を呈してきた。住宅地といっても、木が建物をぶち抜いていたり、ツタが絡まっていたりして自然と一体化しているようなのが印象的だった。バスは渋滞気味な中を進み、どうやら中心部に向かっているようだ。立体交差やばかでかい看板なども見える。そして、バスは不意に止まった。終点。バスを降りる。降りるとき、車掌が「昨日は座席を変わってくれて有り難う。」てなことを言っていた。
降りたはいいが、果たしてここが何処なのかさっぱり分からない。中心部らしい様子から、チャーチゲート駅付近と予測する。とりあえず、少し早いがホテルにチェックインしようと思い、予め調べておいたSalvationArmyを目指す。「地球の歩き方」に寄ると、この宿はYMCAと並びボンベイでは安い部類にはいる。それでもドミトリーが85Rsと書いてあるから相当高い。ここは有名なタジ・マハールホテルの裏なのでタジ・マハールホテルの正面にあるインド門を目指すことにした。インド門を通るバスなら地球の歩き方に番号が載っている。早速、バス乗り場を探すことにした。
バス停を探していると、ボンベイの街が他に比べて格段にきれいなことに気づく。しかし、路上で体を洗う人や、洗濯する人の姿がここはインドだと主張している。
しばらく歩いて、ようやく人が集まりバス停らしき場所を発見するが、何処に何番のバスが来るのか分からないし、来ても番号の照会に精一杯だ。そんなこんなで、乗るべきバスを2、3本やり過ごしてしまった。思いっきり走って、ようやく飛び乗ることができた。
バスは、旧宗主国イギリスの名残か2階建てで、建物も西洋風だから、人が白人だったらヨーロッパと変わらない。バスに乗って、しばし外の風景に見とれていたら、車掌らしき男がなにやら怒鳴っている。金なら払ったはずだ。と思っていると、言葉は通じないが、「次の停車場だから降りろ。」と言っているようだったので降りた。
降りて、かんにしたがって歩くとタジ・マハールホテルが見える。どうやら着いたようだ。といっても、まだ8時くらいで、ちょっと早すぎるので、インド門で時間を潰そうと考え、そっちに向かう。その途中で、男が歩み寄ってきた。
「ヘイ、マスター。ハッシッシ。ガンジャ。ヤスイ。マヤク。」などと話しかけてくる。シカトして通り過ぎようとすると、今度は、「ホテルがシングルで250Rsだ。昨日、日本人も泊まった。」などとホテルの紹介だ。この手のにはもうこりごりなので、そそくさとインド門に向かった。
インド門は海に面している。海は、泥のような色をしており、お世辞にもきれいなどとはいえない。彼方にはタンカーが見える。海と反対方向を見れば、有名なタジ・マハールホテルが見える。このホテルには、インド人の誇りのようなものだ。そもそも、資本家のジャムシェトジー・ターター氏が白人の友人とアポロホテルへ入ろうとしたときに、ヨーロッパ人でないことを理由に入場を断られたことに由来する。このことがきっかけで、ターター氏の心に火がついた。彼は、ヨーロッパの技術をふんだんに取り込んでアジアの星とも言われる立派なホテルを造ったのだった。ちなみに、かつて彼の入場を断ったアポロホテルも裏手に見かけたが、とてもこじんまりしていた。なお、このターター氏、パースィー(ゾロアスター教徒)であり、このパースィーは比較的裕福な人が多いという。僕らが乗ってきたエア・インディアもかつてはターター氏の同族の経営だったという。
しばらく時間を潰して、タジ・マハールホテルの裏手にあるはずの宿に向かう。チェックイン時間までまだ時間があったが、既に先客のいるくらいの人気だ。しばらく待って、チェックアウトした客と入れ替えで、お金を払いベッドの番号を貰う。ドミトリーの料金は、「地球の歩き方」には85Rsとあったが、100Rsになっていた。ボンベイの地代の値上がりは甚だしいと聞いたがどうやら本当のようだ。もっとも、タジ・ホテルの裏手なら結構いい土地だから、こんな安くて成り立っているのが不思議なくらいだけど。
指定された部屋の番号通りのベッドを探すと、既にそこには先客が。とはいっても人はいなかったが、2段ベッドの下段には住み着いていると言わんばかりに、衣類が干してあったりする。仕方ないので、先人が帰ってくるまでおろおろとベッドサイドで待つ。部屋は、ベランダまでつなげたような感じになっていて2段ベッドが8台ぐらいあったと思う。僕のベッドは窓際だから、網戸がないのは問題にしろ、涼しそうだ。
先人は帰ってこないが、上段の住人がやってきた。奴はインド人だった。「ここの奴はどうしてるんだ。」ときくと、「そいつなら、チェックアウトしないぜ。番号なんて関係ないんだ。そこらの空いてるベッドがてめえの領地さ。」といったかはよくわからないが、訛りの強い英語でなにやら言って近くのベッドの上段を指したのでそこに宿ることにした。彼は、仕事を探しに出てきたというようなことを言っていたが、インド人にとって1泊100Rsは安くないはず。警戒心を強めてチェーンでベッドに荷物をくくりつけた。ベッドは木製で、少し動くだけでやたらと揺れた。寝返りを打ったら、壊れやしないだろうか。しばらくして、隣のベッドに日本人らしき人がやってきたので、軽く挨拶をしてなにやら話した。
話しているとそこになにやらカタコトの日本語を話す人がやってきた。彼は韓国からやって来ている李さんといった。先程カタコトと書いたが、カタコトとは言い難いほど、彼の話す日本語はとてもうまい。これで、英語の方が主専攻で日本語は1年くらいしかやっていないというのだから、舌を巻く。自分の語学力が恥ずかしい。
日本人の彼がどこか出かけてしまったので、李さんと食事に出かける。李さんはまだインドに慣れていないようなので、なにやら高そうなレストランに入った。それもそのはず、インドには今朝着いたばかりという。道ばたの人々を見て相当ショックを受けているようだ。彼は、4回生で今までもシンガポールなどアジアを旅してきたそうだ。
久しぶりにきれいなレストランでファーストフード並の面白くもない食事をとって、外に出た。李さんは、大学に行くようで、僕はエアインディアビルの前から出ているエアポートバスを下見に行く予定だったのでそこで別れた。
タクシーに乗らずにもいけそうな距離だったので、歩いていくことにした。歩いていると、やはりボンベイは近代的な街だと思う。歩道が破損していたりするが、全体的に道路が整備されており、他の街では見られないような外車なども走っている。目的とするエアインディアのビルはひときわ大きく、そびえ立っていたのですぐ分かった。
ビルの入り口に小学校の机を引っぱり出したようなカウンターがあったので、エアポートバスはここかと訪ねたら、男が肯いた。「明日の予約をしたいのだが。」といったら、「なら、明日こい。」といわれた。予約など必要ないようだ。それにしても、このビルの入り口は涼しかった。ビルの入り口が開けっ放しで、中はエアコンがガンガン効いているので冷気がどんどん逃げ出しているのだ。エアコンなんてインドでも珍しいのにこんなに無駄に電気を使っていいのか。それとも、温度調整がきかないから開け放して調整しているのか。
とにかく、明日来る場所が確認できたので、宿に帰ることにした。昨日、ろくに寝ていないので、ともかく一眠りしたい。
隣の部屋から聞こえるギターの音で目を覚ます。ベッドの下段の住人がいたので、挨拶を交わす。髪が短くてタランティーノ似の西洋人だ。ちょっと怖そうなので、夜寝返りを打って揺らさないようにしようと思う。今朝の日本人と李さんと飯を食いに行くことになった。3人でうろついて安食堂を探すが、なかなか見つからない。さんざん彷徨って、ようやく手頃そうな食堂を発見。メニューを見て適当に選ぶ。食事が来るまでの間、3人で話すが会話は日本語だ。それでも李さんはとても上手に話す。彼は、とても丁寧な性格で時々、「私の日本語おかしくありませんか。」と訊ねた。もちろんそんな心配ないくらい流暢なのだけど。彼はこれからバラナシの方へ向かうようだ。ただ、初日からインドに圧倒されて少し不安なようだ。そこで、インドに来たばかりの李さんに対し、先輩面していろいろうんちくのようなものを語った。
さて、注文していた料理が出てきた。僕が頼んだのは、ChikenTomatoCurry。見てびっくりしたのは、ルーの色が真っ赤でほとんどが香辛料であること。恐る恐る口に入れてみると、案の定辛い。それでも意地になって少量の水と共に食べる。しかし、食べていくうちに日本のカレーにない香辛料のおいしさが分かるようになってきた気がした。単に、舌が麻痺していただけかもしれないが。ともかく、インドで食べた中で一番おいしかったという印象は残った。
そのあと、インド門の脇をを通って宿に帰った。インド門の向こうのアラビア海には満月が輝いていた。海と月とインド門が調和した風景をみていたら、この国の暗澹たる歴史や今までの旅程が頭に浮かんだ。
今晩でインドの夜も最後だと思うと、熱気やもの騒がしささえ名残惜しかった。
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Updated 2003/3/8 |