明日で僕とYが一緒に旅行するのは最後で、Yは日本に帰り、僕はインドを周った後東南アジアに飛ぶことになる。僕の次の目的地は、アジャンター、エローラの遺跡で有名なアウランガーバードである。
さて、ここで迷ったのが、アウランガーバードまで列車で行くか、飛行機で行くかである。手元にある地球の歩き方にはデリーからアウランガーバードまでの直通列車は出ていない。つまり途中で乗り換えねばならない。しかも、距離から行って丸1日電車に乗っていることになるだろう。それならば、1時間程度でつける飛行機で行ってもよいかなと思ったのである。しかし、当然飛行機は高く、列車で行った場合の10倍はするのではないかと思うと考えてしまうのだ。Yに相談してみると、「疲れてるし、お前がいいようにしたらいいんじゃない?」と、全く相談した意味がないのだ。結局、今後の旅に予算を残しておくためにも列車で行くことにし、飛行機は列車の切符が取れなかったときの最終手段とすることにした。
今日すべきことはたくさんある。タスク表を作る。
・銀行に行って両替する。
・カルカッタでできなかったボンベイ−バンコク便のリコンファームを済ませる。
・列車の切符を取る。
・Aapki Pasandという店で土産の紅茶を買う。
・ほかの土産などの買い物をする。
・インディアンダンスを見る。
と盛り沢山だ。まずは腹ごしらえと、ホテルの屋上の食堂で朝食を食べる。
さて、まずは手持ちの資金がないので両替しようと、コンノートプレイスを目指す。小さな地方銀行がいくつかあるのだが、閉まっていたり、「両替はやってないよ。」と、にべもなく断られる。この銀行だが、入口付近が鉄格子だったり、銃を持ったガードマンがいたりして、結構厳重な警戒だ。何軒かまわり諦めようとしている頃見つけた銀行のガードマンに「両替はやっているか?」と聞くと、「うちはやっていないけど、隣でやってるよ。」と、教えてくれた。僕が入り口付近でガードマンと話している間に、Yが銀行の奥のほうにどんどん入っていくので、ガードマンが慌てていた。彼の言う通りに行くと、SITA
Foreign Excangeというオフィスがあった。店内に入って驚いたのは、ここがインドかと思わせるほど近代的で、コンピューター端末何台もがあるようなところだった(鉄道予約もコンピューターを利用しているがここまで近代的ではない)。ツンとしたカウンターのネーチャンはサリーを着ているものの、「私はエリートよっ!」と言うような態度で接客してくれた。僕は切符やお土産の購入のために多めに両替した。また、Yが明日乗る空港行きのバス乗り場が近かったので、出発時間の確認をした。
用事が一つ済んだところで次ぎはリコンファームだ。苦労して目的のエアインディアオフィスを発見。ニューデリーでも一番目立つビルにあった(というより他にビルがない)。入り口では検問があった。僕が検査を受けていると、横をYがすり抜けていった。Yは検問があるということに気づいていない。また検問の女性も、Yに気づいていない。Yという奴は、つくづくこういう才能に長けていると思う。
番号札を取って、順番待ちをする。やはりここでも、僕らの格好は浮いている。何しろ、インドで飛行機に乗れるのは相当な金持ちだけだ。僕の番号が呼ばれ、手続きに行く。宿泊先など聞かれるが、あらかじめ調べておいた泊まるはずもない高級ホテルの名前を告げる。どうやら、今回は上手くいった。
また、同じビルにはCITY BANKがあったので、あらかじめこの旅のために用意しておいたCITY BANK CARDをつかって引き出してみようと試みる。しかし、ATMでは通らなかった。CITY BANK CARDは、全く意味無し。
そうこうしているうちに、お昼になり、執拗に勧誘してくるリキシャワーラーや物乞いの子供を振り払い、僕らはひとまず宿に帰る。
午後、少し休んだ後出かける。メインバザールの客引きたちを冷やかしつつ駅に向かう。駅の前には相変わらず、オートリキシャのおっさん達がたむろしている。2階にある外国人専用予約事務所に向かう。
事務所は、カルカッタのに比べると広く、スムーズに流れている。予約に来ている人の3分の1くらいは日本人だ。ツーリストカウンターとも言うべき、相談役の女性がいたので、そこに行って、アウランガーバードに行くにどの列車を乗り継げばいいか聞く。すると、彼女は時刻表を調べて、1日1本の直行便があるというので、それで行く事にし、その列車番号を紙に書いてもらった。次に予約カウンターに行く。カウンターは、ドル建てで払うか、ルピーで払うかで2分されている。僕はルピーしかもってないので、迷わずルピー建ての方に行く。さっき書いてもらった紙を見せて、明日の2nd Sleeperだというと、コンピューターに打ち込んで発券してくれた。384Rsだった。
切符を手に入れたところで、出発時間やホームを聞いてなかった(切符には書いてない)ので、先ほどの女性のところに聞きに行く。西洋人の女性が何やら聞いてたが、カウンターの女性が「なんだ。」とこっちを向いたので、尋ねたら「分からないので予約カウンターで聞いてくれ。」といわれた。隣の西洋人女性は何やら行きたい場所があるらしいのだが、それがどこにあるのっだか分からないようだ。「どこに行きたいの?」と聞いたら、「****シュラン」と聞こえたので、「何レストラン?」と聞き返したら、2人の女性に苦笑された。聞くと、彼女は「アシュラム」といったのであった。アシュラムとは修行場みたいなもので、僕はその時初めて知ったのだから、聞き取れなくても仕方ない。笑われた事に憤慨したが、彼女の探している場所が「地球の歩き方」に載っているか調べてあげる。しかし、彼女の述べるその場所の特徴が、「母親が赤ん坊を抱いた絵がある。」などとわかりにくいのでとうとう分からなかった。
僕は、自分の用を済ませようと、カウンターに出発時間を聞きに行く。午後1時半発車、到着予定時刻翌日午後2時。つまり、丸1日というわけだ。ハードな旅路になりそうだ。ホームは何番かと聞いたら、分からんから明日、ホームで人に聞きまくれだと。
駅を出て、リキシャを捕まえる。いつも通り、老人を狙う。オールドデリーにあるデリー門に行ってくれと告げる。老人は僕ら2人を載せて、駅をまたぐ大きな陸橋をぐんぐん越えていく。シャツの背中が汗で滲む。降りて走ってあげたい気持ちになる。そうこうするうちに、坂を登りきって下り坂になる。おじいさんは、しめたとばかりに軽快に漕いでいく。
陸橋を越えたところがオールドデリーで、コンノートプレイスでは見られなかった牛がのうのうと歩いていて、やはり泥と埃にまみれてうごめいている人々がいた。
周りに気をとられていると、デリー門についた。何故デリー門かといえば、「地球の歩き方」に載っている紅茶店の住所がどうやらその近くだったからだ。降りて、代金を払おうとすると小銭がない。釣りもないという(それくらいその日暮らしをしているのだろう)。仕方なく、Yがコーラーを買って崩してくることとなり、その間僕は老人と待っていた。しかし、この老人は英語がしゃべれないので会話ができない。お互い、「参ったなあ、もう。」というような薄笑いを浮かべあう事しかできない。ようやくYが、かえって来ると、老人は本当に嬉しそうに代金を受け取った。Yが帰ってくるまで気がきでなかったのか、外国人だからとボッていい額になったのだろう。
それからしばらく、僕らは紅茶店を探し彷徨った。あちこちといったりきたりした結果、ようやくAapki Pasandというその店を探し当てたのだった。この店は、ゴルバチョフ氏に贈った事のあるような高級店だ。何故こんな高級店に来たかというと、旅行に際し、お金をくれた人があったので、そのお礼というわけだ。中に入ると、僕らが居辛いような雰囲気で、店員もちゃんとした格好でなかなか格式が高い。インドにいるのではないようだ。早速、茶葉を見せてもらうが、香りをかがせてもらっても、よくはわからない。とりあえず一番いいという奴をテイスティングさせてもらう。これはダージリンで取れたその年最高のものだという。飲んでみたが、それほど香りも無く、日本で飲むのより上手いとも思わなかったが、それは所詮僕が庶民の味覚だからだろう。とにかく、その一番いい奴を500g買う。いくらかは忘れたが、結構いい値段をしていたから、日本で買ったら1万円は越えるだろうと思われた。この旅で一番高い買い物かも知れぬと思った。Yも祖母のためにと、2番目にいい奴を買った。
賑やかな商店街として知られるチャンドニー・チョークを目指して歩く。途中、うつ伏せで倒れている人がいる(これが初めてではないが)。動かないので、生きているのかしんでいるのかわからない。やせこけているので、まさか、と思っていると、かすかに動いた。これがインドの首都の現状だ。
ずんずん歩いていくと、レッド・フォートが見えてきた。さらに進むとだんだん人が多くなってきて、左手に大きな通りが見えた。チャンドニー・チョークだ。僕はここで妹への土産としてサリーを買う予定である。とにかく店も多いし、品揃えも豊富なのでいろいろな店で品定めしたり、冷やかしたりして進む。Yは、途中でベルトを買った。牛は神聖な動物とされているから、牛皮ではないだろうが動物の皮のようだった。確か20Rs.くらいだった。その場で長さを調整してもらい、穴を空けてもらう。
次に、サリーを買いに、Meena Bazaarに向かう。これも「地球の歩き方」に載っている店なのだが、本を見なければどこが信用できるかなどの情報が無いのだから仕方が無い。途中、シーク教の寺院がある。男はみなターバンを巻いていた。そこを過ぎると目的のMeena
Bazaarがあった。ここはたくさんのサリーがあって、希望の価格帯などを言うと様々な色のサリーを出してきてくれた。サリーは5mにも及ぶ布なのでシルクは高くて買えない。だからナイロン性のもので、ピンクの単色の模様の入ったものを買う。バーゲンセール中との事で幾分ディスカウントしてくれて485Rs。後から知った事だが、ナイロン製のサリーは、Made
In Japanが多いそうだ。
店を出ると喉が渇いていることに気づく。と、店の前にパイナップルの切り売り屋がいた。早速1皿買おうとするが、ナント店の青年は他の客のパイナップルに香辛料をかけている!慌てて僕らのにはかけなくていいと告げる。怪訝な顔をされたが、香辛料などかけられたらたまったものではない。余計喉が渇いてしまいそうだ。全く、インド人はどこまで辛い物好きなことか。ところで、肝心なパイナップルの味はというと、腐ったような味がしたので、もったいないが1切れだけ食って、捨ててしまった。
またもや、老人のサイクルリキシャを待ちかまえて、ホテルに帰る。この老人は、やたらに裏道を通るので市民の本当の生活が垣間見れて面白かった。何やら黒い油で揚げられているもの、赤や黄色の香辛料や着色料。そんなものが目先をかすめていく。裏道模様はそんなわけで面白いのだが、裏道というくらいだからかなり狭い。しかし、対抗にリキシャがやってきたりすし、牛もぶつかってくる。そのたびに、おじいさんは、「アー」とか「オー」とか意味不明の大声を上げて威嚇する。リキシャの場合、年長者が優先なのか割と優先して通れるのだが、牛には効くはずも無い。
そうした喧騒の中を通り抜け、ホテルの中を通りすぎたときには、デコボコ道と、周囲からの牛やリキシャのアタックで尻が痛かった。ひとまずホテルで、休息。
休息もつかの間、ホテル付近のメインバザールでかねてから目をつけていた品物を買い出しにいく。僕は、土産にルンギー(腰巻き)と、買おうとした。ここのルンギーは西洋人観光客向けにドラッキーな色づかいだ。値段は1枚70Rsと高い。大量に買ってまけさせようと思う。他に同じくドラッキーなシーツ150Rsがあったので、それ一枚とルンギー4枚で交渉する。交渉の末、最終価格として、こちらは350Rsを言い張ったら相手も400Rsで引き下がらない。仕方なく、帰るといったら、「マスター、待ってくれ。わかった350Rsで手を打とう。だけど、今度この通りでまた遇うことがあったらあとの50Rs払ってもらうというのではどうだ。」と、訳の分からない提案をしてきた。確かにこの通りの前を通る機会はあるだろうが、いったん買ってしまえばこちらはシラを切りとおせるではないか。釈然としなかったが、理屈が通じないのがインドだと言い聞かせて買うことにした。彼は、引き下がりたくなくて負け惜しみを言ったのだろうか?
Yには僕の妹と同い年の妹がいるが何も買っていってやる気配が無かったので、「買っていってやったらー。」といったら、パイジャマ(綿製のズボン)を買っていた。また、先日から、Yは目をつけたサンダルがあってその店を通るたびに交渉を続けていたのだが、とうとう折れて相手の言い値で買った(とはいっても、最初の言い値からはだいぶ下がったが)。この数日の買い物を見て、Yのこの根気強い買い物精神と、相手が折れなかったら買わないでもいいという心意気の強さには感服してしまった(サンダルは自分が折れて買ってしまったが)。僕は物欲が強いので、野別もなく買ってしまうが、Yはあまり物欲が無いようであった。
Yの買いものを見ていたら、脇にあるサンダルが気になった。聞いてみるとラクダの皮製だという。ますます欲しくなったが、400Rsと高く、ディスカウントしてくれないので諦めた。しかし、他の靴屋を覗くと先ほどよりは汚いが似たようなサンダルがある。聞くと、やはりラクダだという。100Rsというので値段交渉をするが、一向に折り合わない。しまいには「インド人だろうと、外国人だろうと、うちの店は同じ価格だ。」と胡散臭いことまでいったが、欲しかったので買った。サイズを合わせてくれといったら、小僧を外にった。しばらくして、打ち込んである釘をはずし、また打ち直したものをもって帰ってきた。どうやら直しが商売の人間も別にいるようだ。ようやく自分に合ったサンダルが出来上がり、僕はすっかりご機嫌だった。
その他、爪切り、僕の物欲のなれの果てである数々のお土産たちを無事に輸送するため、つまりYに持って帰ってもらうためのバッグなどを買った。
部屋に帰ると、僕は買ったバッグにお土産を詰めて明日の用意をした。あまりにパンパンに膨らんだので、Yが「ウェー」と悲鳴を上げた。僕の土産の方がYよりも断然多い。しかも、その全部を彼に持たせるとは。良心が少し痛んだが、今後の旅に僕が持っていくわけにはいかないし、郵送はちゃんと届くか不安だ。ここは、舎弟に任せるべきだろう。
少し休んで、夕食を食いに屋上へ。チャーハンや春巻きを食うが、中華料理とはまったくの別物だった。
食後、インド舞踊を見ようと、これまた「地球の歩き方」に絶賛してあるホールへ向かう。ここで僕は、ミスをやらかす。本にはデリー門近くと書いてあるのを僕が勘違いしていて、オートリキシャのシーク教徒に「インド門までやってくれ。」と、いってしまったのだ。そこで、インド門についたはいいが、ダンスホールどころか建物らしいものなど何も無かった。ここで、正しくは日中いったデリー門の近くであることを知る。
せっかく来たのだからと、デリー門を見ると、結構離れたところにある。写真を見てもらえばわかるが、手前にはバリケードがあり、それ以上近づけなくなっている。そのうえ、いかつい兵士が番をしていて、バリケードが入らないように写真を撮ろうとバリケードに近づくと、「もっと下がれ。」としかられた。
インド門と反対方向を見るとライトアップされた道路(こちらも塞がれていた)が夕焼けに映えてきれいであった。
気づくと、ダンスの開演時間まであと15分ほどしかないので、先ほど乗ってきたオートリキシャに乗って急いでデリー門に向かった。(さっきのリキシャは、「こんなとこで降りても、他にリキシャは来んし、見るものなど他に無いから帰るためにあいつらは乗るだろう。」と待ってたわけである。)
ようやくデリー門につくと開演5分前だ。しかし、リキシャワーラーに聞いても、周辺の人に聞いてもどこにダンスホールがあるのかわからない。病院の裏ということを頼りに歩き回るが、わからない。諦めかけて歩いていると、おいでおいでと手を振っている中年の男女がいる。「ダンス?」と聞くと、相手はうなずき、中へ導いてくれた。料金一人100Rs.払って中にはいる。
開演ぎりぎりであった。中に入ってびっくりしたのは「地球の歩き方」には「立ち見が出るほどの混み様で、拍手にアンコールでエキサイティングなショーだった。」と書いてあったのに関わらず、僕らのほかに客は白人が4、5人いるだけであった。客はほとんどいないにもかかわらず、ショーは始まる。しかし、観客がこの人数だから盛り上がらないし、出てくる踊りもインド独特というようなものではなく、タイやあるいは日本でもみれそうなものであった。とっとと帰りたい気持ちを押さえて、1時間のショーが終わるのを待ったが、帰るときには失望感で満たされていた。
またもやサイクルリキシャを探し、帰途につく。視界を後ろに流れていく風物は、ここが本当に首都なのだろうかと思うくらい明かりが少なく、暗闇では大勢の人がうごめいている気配を漂わせているのだった。こういう情景は、異国に来ているのだという感慨をいやがおうにも高める。インドはこれからあと数十年はこのままなのだろうか?
ホテルの1階のカフェで軽く食べながら、Yと今日の出来事に関してお互いのうんちくを語り合った後、僕らは疲れてすぐに眠ってしまった。
明日は、とうとうYとお別れだ。これからはいかなることも自分でやっていかなければならない。
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Updated 2003/3/8 |